グラスアート風羽 グラスアートとミクロモザイクLesson

福岡・佐賀でグラスアート、ミクロモザイクの楽しいひととき

できないことをできる人にお願いしたら

「好き」でつながる、わたしのあゆみ。

 

nib.|佐賀県佐賀市 ことばコーディネーター北村朱里の個人事務所

朱里さんに、私のことを聞いてもらいました。

これまでも

これからも「好き」を選んで歩いてる私の

「マイヒストリー」です。

 

 

 

nib.|佐賀県佐賀市 ことばコーディネーター北村朱里の個人事務所

朱里さんかく、わたしのこと「マイヒストリー」、まず半分。

 

「好き」でつながる、わたしのあゆみ。

 

「色」「デザイン」が好き。

 1968年1月10日佐賀県佐賀市で生まれ、11歳で武雄市に移住。

小学生の頃、写生会で描いた絵の空の色が良いと先生にほめられたのが嬉しく、

それからというもの色合わせや色遊びに興味を持つ。

 

一人遊びは、お絵かきではなく模写。いろいろなお店のマークだったり

会社のロゴだったりとにかく身近にあるものを手当たり次第

描き写すことに夢中になる。

何もないところにイチから生み出すのは苦手だけれど、既にあるものを

組み合わせてデザインを考えたり色合わせを決めたりするのが得意だと

この頃なんとなく自覚する。

 

周りからデザイナーになったらと言われ手その気になり、小学校卒業時の

タイムカプセルに将来の夢はデザイナーと書いて入れたことを記憶している。

 

「カタチをつくる」が好き。

 中学卒業後、デザインを学べる佐賀女子高校インテリア科に進む。

3年の時、鹿島の百貨店でPOPライターの求人があるということを

そこでアルバイトをしていた友人から聞き直感で即応募、

そのままそれが高校卒業後の進路となる。

 

チラシや店頭掲示用の飾り文字を描くPOPづくりは、当時はすべて手描き。

幼い頃夢中になっていた模写の要素もあり、

色合わせの感性も発揮できて、とても楽しかった。描いた字を組み合わせて

ひとつのPOPや看板へとカタチにしていくことがとてもおもしろいと思った。

3年半勤めたあたりで、「カタチにする」ことをもっと追究したい、

なかでも看板づくりに特化してみたいと思ったため転職することに。

 

21歳でイベント会場の設営会社へ入社。主に式典などで使われる

白黒の文字看板を制作する仕事に従事。

上司(ではなく先生と呼ばれていた)がとても厳しく、

わたしも皆もそれはよく叱られた。「このチンパンジーが!」なんて

怒鳴られたことも。それで若い人はけっこう辞めていったりもしたけれど、

わたしは辞めたくはならなかった。

先生の指導には厳しいながらにも愛があったと思うし、何より

文字をひとつひとつ描いて看板というカタチにつくりあげていくのがとにかく楽しかったから。

この会社で知り合った夫と24歳で結婚、退職。

 

 

 

あは。結婚して23年経ちました。

この間のこともまた。

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 夏のグリーンカーテンからはじめての収穫でした。