できないことをできる人にお願いしたら - グラスアート風羽 irodori decoration
からの続き
「好き」でつながる、わたしのあゆみ。
「ものづくり」が好き。
憧れの専業主婦生活スタート。ところが
いざなってみるとやはり物足りないと感じるもので、何かしたいと思って
なんとなく興味があった押し花の勉強をしに行く。始めてみると想像以上に楽しく、
講師になるつもりは特になかったけれど
そのままインストラクターの資格まで取得。
そうしてやはり自分は手しごとやものづくりをして生活をするのが好きだと実感し、
また働きに出ることに。トレース会社に勤め、
ダムや道路など土木関係の製図に携わる。3年ちょっと在籍したのち
29歳で転職、ディスプレイ会社へ入社。ショッピングセンターやCDショップなどのディスプレイを作成する会社で、そのディスプレイに使用する展示物を作成するのが
わたしの仕事になる。
入社当初はまだ会社の発展途上で、とにかく皆がむしゃらになってやっていた。
社長も社員も若く部活みたいなノリで、堅苦しい上下関係もなかった。
いつも納期に追われてそれはもう大変だったけれど
やっぱりものづくりの楽しさの方が大きく、辞めたいと思ったことは一度もなかった。
カッティングシートを切る、貼る、平面だったものを立体へと組み立てる・・
そんな作業はわたしにとってクリエイティブそのものでいつもワクワクしていた。
どんなに辛くても、出来上がってお店に展示されているところを見に行っては
大変だったことなんて忘れてまたつくることに没頭した。とにかくものづくりが楽しかった。
12年ほど在籍し退職。
そして今グラスアートが好き。
このときわたし、41歳。さぁこれから何をしていこうかと考えていたとき、
好きなことの棚卸しの一環として
以前から興味があったグラスアート制作の見学に行ってみた。
図案を考える、色合わせを決める、フィルムを切る、貼る、リード線を曲げて縁取る、そしてカタチになる・・そんなグラスアートの手順には、
まさにわたしが今まで生きてきた中での「好き」が網羅されていた。
わたしのなかでふんわりと「このクラフトを生業にしていきたい!」という気持ちが沸き起こり、それは確かな志になった。
20代の頃は、自分が人に何かを教えるなんて滅相もないと思っていた。
でもこのときは、せっかくやるなら自分ひとりだけで楽しむのではなく人にも伝えたい、
グラスアートのおもしろさを誰かと共有したいと自然に思っている自分がいて、
その気持ちの延長線上にあるグラスアート講師という職業を選択したように思う。
今まで常に「好き」を基準に道を選んできたわたしにとって、
それはごく当たり前の流れだったのだろう。
こうして、パートでお金をためながらグラスアートの資格を取得、
2012年4月グラスアート風羽スタート。現在福岡県春日市に住みながら、
春日市ほか福岡県内、佐賀県小城市、武雄市の各地でグラスアート教室を展開。
きる・はる・まげる・かたちになる。たったこれだけのシンプルな工程でできる
ものづくりの楽しさ、思いのままに組み合わせる色遊びのおもしろさを
いろいろな方と共有すべく、わたしは今日もふわっと「好き」の道を歩き続けている。
行いや思う事をきちんと言葉に表現する必要のあるときは
そのプロにこれからもお願いしたい。
nib.|佐賀県佐賀市 ことばコーディネーター北村朱里の個人事務所 の
朱里さんに書いてもらいました。
最後の文は特に気に入っています。
朱里さんのブログにも飛んでみてください。わたし
いつも心地よく読んでます。